「芸術に生きる」
2019/11/10/日曜日
ほとんど丸々一週間、
ブッ倒れるような風邪をひき、
まともに学校にも塾にも行けず、
唯々寝てばかりの日々を送った。
割とマジでキツかった。
やっとこさまともになったかな、と思えるぐらいになった時に、大分の高校生の主に美術部生が応募し参加する「中央展」に友達と行くことになった。
自分は絵が兎に角ヘタクソで絵がかける人を「すっげぇなぁ」っていう感覚で見てたんだけど、自分と同級生だったり自分よりも年下でか弱そうな女子が、滅茶苦茶力強いエネルギッシュな絵を描いていて驚いた。
すげぇ絵を描くのは芸術緑ヶ丘高校の生徒ぐらいだろうと思っていた。全然違った。
縦横1mぐらいの結構大きいキャンバスにみんな思い思いの絵を描いてて、その作品の下に題名や頑張った点や描きたいコンセプトを書いていた。
そこで先生や生徒同士が自分の作品についてのアドバイスや感想を聞いて回る時間があって、トータルで言うと3時間ぐらい歩き回って150個はある作品達を至る所で討論していたんだけど、その時間が何より凄かった。
結構厳しめの意見を下さる先生だったり、様々な視点で作品を見てくれる方々が多いので、制作した生徒の気が付かなかった点や、今後の指針等、ホントに色々話してた。
その中で、俺は、作品は出してないわ、見たい作品がある訳では無いわ、で正直することが無かったから、色んな先生の会話を隣で盗み聞きしてたりしていた。隣の生徒の作品を見てるフリをしたりしながらね。
そしたらこんな会話が繰り広げられていた。
「今回私はこの作品を通して○○のイメージを強く出したいと思いながら取り組んだんですけど、どうもそれが上手く再現出来ませんでした。」と自己省察する女子。(2年?)
それに対して先生は、
『そういうもんですよ芸術は。寧ろ自分の作りたいものと出来たものの差異を自分自身で分かっているのはかなり良い事です。そうやって1つの作品を作る毎に達成感と後悔を繰り返しながら制作を続けていくのが、1番クオリティも人間味も向上していくもんです。今後にとても期待していますよ。』と言っていた。(少なくとも俺はそう隣で聞き取った)
はぁーーーーー。それが芸術か。確かに。
すげぇなこの講評。と滅茶苦茶感心した。
様々な生徒が自分の脳内で描きたい物を創り、
それぞれの持ちうる最大限の手段や技法で
それを還元していく。またその還元する時に
構想を練り、自分の作品を脳内で熟成させ、
やっとの思いで1つ。仕上げる。
このプロセスがとてつもなく「人間」の、
「芸術を楽しめる生物」としての最大の、
「面白さ」があるんだろうなぁと
本当に思った。
この講評に関しては音楽にも通ずるものがあると思ったから、こうやってブログに書くことにした。
いい学びをした。爽快なくらいいい学び。
明日も学校があるのでこのくらいで。
また今度。