白バの王子様

お久しぶりです。

今僕は、大学の2年の夏の長期休みを終えようとしています。

コロナウイルスの影響を受けて千葉から地元大分に帰省し、生活しています。

 

 

 

 


僕の想像する大学の夏休みなんて、

酷く充実していて、

サークルのみんなと川辺でBBQを行ったり、

海辺で花火をしたり、わやわやと賑わう社会の中でアルバイトに精を出したりする。お金持ちな人達はどこか国内の遠いところまで行って旅行するもんだと思っていた。

 


だけれども僕の実際の生活の中にはそんなシーンは一切描写されることは無かった。自宅で買った小説やマンガを読んでは、サブスクで古い映画を見て研鑽を積む。そうかと思えば時々外にでて友人とあってちょっとだけご飯を食べたりする。あとは大抵アルバイトをするくらいだった。あと、自己表現をどんな風にしようか悩んだりもしてる。

 


なんとも言い難いもどかしさがあるものの、

まぁそれなりにできるだけ充実させることが出来た気ではいる。

 


ただ、僕の場合。アルバイトが普通じゃなかった。

僕はこの夏休みの間に、2つのバイトをした。掛け持ちとかではなく、ひとつ辞めてはもうひとつという具合に。

 


僕のバイトは温泉旅館のバイトとUberEATSの配達員だった。

変なものを選んだ…。

そういうの選びがちである。

 


温泉旅館のアルバイトを選んだ理由は、

大分の中でもまあまあ温泉の有名な街で観光客も多いので、色んな人と関われたり、ホテルとかではない古き良き趣きを味わえるだろうと考えたからだった。

ネットには時給850円〜。

まぁいいかと思った。

詳しく書くとその温泉旅館が特定されてしまうかもしれないから、控えるけど

朝、4時間働いて、夜5時間働くらしかった。

内容は食事の提供や布団や部屋の準備、旅館備え付けの家族風呂をお客様が利用された後は清掃したり、ゴミ出ししたりとかだった。

 


ほんとに古くからあるタイプの旅館で、噂によると創業60年とか言われてた。

期待を胸にアルバイトの申し込みの電話をしてみると女将さんが電話に出た。

 


色々話し合った後に、女将さんが、

「それとね、うち今お給料の計算をわたしの一存で決めさせて貰ってるんですー」

と言ってきた。

一存?どういうことだ?と思っていたら、

「実はね、今こんなご時世だから宿泊のキャンセルとかがすごく増えてて、忙しさがまばらなのよ」

「だから、朝3000円夜3000円でやらせてもらってるんだけど、それでもいいかい?」

と聞いてきた。

 


当然、ん?    って思ったが、ブラックアルバイトに慣れてしまっていた僕は流れで

「はい、分かりました」と言ってしまった。

 


すると、女将さんは、とりあえず簡単な履歴書書いて、今日面談をしましょうと言ってきた。そしてその旅館に行き、ある程度話を終えたら、「じゃあ今日夜早速働いてみましょう」と言われた。

 


かくして、とんとん拍子でブラックアルバイトの始まりである。

 


その日は、女将さん(80以上)とミキさん(80以上)の2人の女性がご老体に鞭を打って切り盛りしていた。

その旅館は部屋が2階にある設計で、食事の乗せられた大きなお盆を、そのお婆さん達がヨトトトと昇り降りしてたので僕は気が気でなかった。

 


慣れない作務衣と足袋を着て、その日は5時間弱、大変走り回った。これで3000円?

 


旅館の内装も、昔ながらの独特な安心感のある香りも、どれも私は大好きだったが、常に頭の中に3000円?というワードが絶えずよぎっていた。

結果、1週間でトータルで23時間働いて15,000円にしかならなかった。逃げ出した。

 


女将さんからその後、4回くらい電話が来たが全て無視した。5回目は来なかった。

 

 

 

そんな事もあり、地元でのアルバイトにまた辛い思い出が増えてしまったので当分の間、働く気は失せていた。だが、まだ大学の夏休みは半分くらい残っている。そんなちんけなお金じゃあ生活にまだ困るので、泣く泣くまた別のアルバイトをすることとなった。

 


次は何にしよう。約1ヶ月の結構な短期でも働けて、尚且つなるべくブラックじゃない奴がいい。またコンビニかとも思ったが、UberEATSをはじめて見たくなった。

 


あれはシフトとかの概念が無いし、短期とかでも充分はたらける。時給も多分悪くない。

自転車ならあるし、と思い、とりあえず配達員として登録した。

すると、直ぐに登録が完了し、働けるようになった。

 


諸々の道具を準備して、

やってみたら注文が予想以上に少なかった。

予想の約半分くらいしか注文が来ず、それに伴って予想の約半分くらいしか収入が来なかった。車社会の地元では、配達料金を多く支払ってまで頼むというUberEATSの概念が浸透していない印象を受けた。

 


頼む人は高級そうなマンションに住む方が多くて、注文が来るのは一日の中でも夜の6時から9時の3時間くらいだった。日に平均3〜4件注文が来ていて、大体1件ごとに500円前後頂ける。

 


つまり、聡明な読者にはもう予想がついているだろう。

温泉旅館の時の時給とほぼとんとんなのだ。

つくづく働くのが嫌になる。

しかも、配達中に同業者と思わしき40代の男性から連絡先を交換しようと変に声をかけられたり、夜の公園にたむろしていた60代位のおばさん4、5人から「ここにたむろするな」と言われたり、街の変な人に絡まれてばっかりだった。散々だ。惨たらしい。

 


まあ、UberEATSに関しては夏休み以降も簡単に出来るので今の期間はその練習とでも思えばいいのかもしれないと思うようにして、きっと残りの夏休みの間も夜働くのかもしれない。

 


地元でアルバイトを3つ経験して、そのどれもが良い労働環境ではないという状況が、とてつもなく虚しく感じてしまう。

 


あぁ、どこかにホワイトで爽やかで時給も良くて身や心が廃れない天国のようなアルバイトはないのだろうか…。と考えていると、

なんだか自分が白バの王子様を待つ貧しい人みたいに感じてしまった。

 


あまりつまらない話を長々と続けてもなんなので、ここら辺で。

 


またいつか。

現状報告

喋れない日々が続く。

またもや変な夢を見た。

夢の中の俺は喋れないでいる。

大学の友人たちと談笑してた筈が、

何故か突然俺の部屋で女性が死んでた。

その女性は俺が小学校の頃、

鉛筆を俺の太ももに刺して、出血させた人だった。

俺の手には前に買った包丁があって、

血で濡れていたから拭って捨てた。

怖くも悲しくも嬉しくもなくて、

ただただ、この後怒られるのだろうと思って嫌になった。

 

という夢だった。

 

中学の頃、酷く普通になりがっていた。

無言の伝播を怖がった。

普通に憧れる詩を書いたが、

どこにいったのかもう今は分からない。

捨ててはないとは思うけど、

詩を書くなんて普通じゃないと思ってしまった。

あれは残しておくべきだった。

 

自分が醜いと思う気持ちと

自分は美しさを持つと思う気持ちの

二律背反をしまい込んでは、

しょうもない半端な自分を表に出している気がする。

 

他者に何も感化されずに生きていたら

自分はどうなっていただろうか。

 

音楽を手に取らず、何を学んだのだろうか?

 

死ぬまで相互作用を繰り返すのなら

生まれてこないで、他者に何も与えないという選択を選びたくなってしまいそうになる。

自分が死ぬという選択をする行為すら、

誰かに作用するなら、生まれてくる時点で自分は罪をかせられているし、他者に何も与えない人生は失敗している。

 

最近ごく稀に、自分の五感と心と体が合致する瞬間が増えてきた。 嬉しいことだと思う。

その瞬間瞬間が徐々に増えていくことを本当に切に願っては、またズレた数日を繰り返す。

 

一世一代の大博打をした、聲の形の主人公に

共感することが凄く多くて聲の形という作品がが好きになった。

 

誰もが自分を嫌っている。

誰もが存在することで他者を不幸にしている。

誰もが何も愛せないまま、愛してる振りを続けている。

偽善や詭弁は無くならないまま、それらを背負って生きている。

 

とりあえず、今日やるべきことは全てやって、

水を飲んで、手洗いうがいをして、歯を磨いて眠りにつこう。

 

 

ミトコンドリアとパワーバランス

引っ越した。それもかなり遠くへ。

温泉特有の硫黄の匂いを全く感じない、千葉での生活が始まった。(始まって2週間位経った)

日が落ちるのが1時間ほど早くて、秋風が時々肌を刺すように吹いている。新生活が始まって、新たな出会いが多い中、実はもう10月を過ぎていてあと2ヶ月も経てば年を越えるという事実に未だに体がついてこれていない。

1人で生活するのは割と楽しく過ごせていて、

平穏無事な日々ができる限り長く続いて欲しい。

 

環境というものは必然的に変化を繰り返していくものである。例えば、幼稚園で遊んでいた子ども達が小学校に通い始めると、えんぴつを握り45分間じっと座り続けるようになる。中学生になると、色恋沙汰でわんやわんやしだすし、部活動に参加したりしなかったりする。高校にもなると、今までの友人関係の作り方とも違ってきて、「いっつも遊べるおもしれーヤツ」だけとの付き合いから、ちょっと大人な、「いっつも一緒にいても楽なヤツ」とかとの関わりの良さを知ったりする。大学になるとどうなるのだろうか?自分はまだ齢18のペーペーだから、そこら辺はまだよく分からない。

でも変わることばっかりかと言われると、自分は小学生の頃から音楽は好きだし、人間と関わるのも嫌いじゃない。楽しいと思う基準の根幹となるようなものは実は殆ど変化していないような気もする。

 

今気がついた。

俺、あと2ヶ月足らずで19歳じゃん。

はやく酒が飲みてぇ。

 

自分の現状を正確に理解し、自分がより良く生きていくための術を身につけようと奮闘するのは真っ当である。そのために人間は学び、得て、変化する。このサイクルは人類滅亡まできっと変わらない。

 

 

 『受け取る力がなければ与える力も身につかない』という言葉は凄く的を得た言葉だと思う。

 

 

読解力が無い人間の書いた文章は稚拙だし物足りない。

英語を聞き取れない人が外国でペラペラに会話ができる、なんてのもありえない。

人間、インプットとアウトプットはどちらも大切で相互補完的になっている。

水鉄砲も水を貯えなければ水を出せない。

製氷機も水を入れなければ永遠に氷は出来ない。人間も実は同じふうに出来ていて「何かを蓄えなければ何かを出せない」のではないかと思うことがある。

 

このことは、考えようによってはどうやらとんでもない事を証明している感じがする。

何かがないと何もできない。そう考えると

人間は何か得ないと何も出せないのだから、人間そのものには何も無いことになるのではないか??と漠然とした不安に猛烈に襲われそうにもなる。

(時々、何も無いところから有を生み出せる奴がいる。それが天才と言われる人種で、そんなやつからすると漠然とした不安なんてものは一切なく、ほへ?とした感覚で私の文を読むのだろう。全くもって羨ましい限りである。天才という言葉についてはまたいつか話そう)

 

その点、ミトコンドリアは天才だろう。

 

海水の中の有害物質だった酸素を取り込んでみて、自らエネルギーを作り出すことを可能にしたのだから。正しく無から有を生み出した第一人者(第一単細胞生物)だろう。

そこから様々な進化や分岐や変化を繰り返し、

今に至るのだから恐れ入る。

 

何かクリエイティブな生き方をしている人に問いたい。クリエイティブな人の大抵の人は、これは自分自身に当てはまるものがあるのではないだろうか?

 

自分がむかし好きだった、或いは今も尚好きなものがあるせいで、自分の作る作品にまで影響を及ぼす。という現象。

クリエイティブな生き方をする上で、この現象を経験したことのある人はかなり多いのではないかと思う。

昔父の影響で、アメリカンロックを良く聞いていたことが関連して、自分の音楽に繋がっている。とか。

とある小説家の世界観が好きで今も昔もよく、読んでいたことから、自分の文章にも少なからずその人っぽい部分が露出したり見え隠れしたりする。とか。

 

『「得た」から「出る」』

そして、

『「得てない」ものは「出せない」』

 

 

ミステリーを読む経験が多いと、自分の作る物語でよく人が死ぬ。恋愛ドラマを見たことの無い人が「はい、私、恋愛ドラマの脚本作ったよ!」なんてきっと出来ない。

 

この話で、自分がどこに持っていきたいかと言うと、「インプットは大切」というのもあるが、そっちではなく「では、人間には何があるのか?」なのだ。話の持っていく技術がまだ要領よく「得ていない」から上手く「出せない」。ご了承ください。すみませんね。

 

半ば強引なテコ入れをした。本題に入ろうか。

今述べたように考えると人間には何も無く、何かを得なければ何も出せないただの物質のように考えられる。クリエイティブな人からすると果てしなく悲しく虚しい事で、人によっては死にたくもなるのでは無いかと思う。

 

私はこう思うようにしている。

 

『「どう」出すかが自分だ』と。

 

何かを得て何かをみんなが出している。

そこはきっと永久に変わらない。

 

しかしどう出すか?どのように得た知識や視点やノウハウを出力するかは自分次第だ。と。

考えるようにしている。

 

水を「得て」、

製氷機は氷にして「出している」

水鉄砲は勢いの激しい水を「出している」

スプレーは広い範囲に霧を「出している」

植物は太陽と組み合わせて糖を「出している」

 

どのように出すかはそのもの次第であって、同時にその人次第なのではないだろうかと思う。

さらに言えば、道具の形状が変わればまた変わる。

よくある四角い氷ではなく、ガリガリ君のような形でアイスを作るシリコンケースもある。

内部の仕組みが変われば、ものすごく遠くまで飛ぶ水鉄砲もある。

スプレーだってスプレー缶のように細かく中身を出し続けるものもあれば、シュッシュと一定量決まって出すものもある。

 

「人間には何も無いのか?」に対する答は、

多くの人がきっと何も無い所から始まる。で、

「人間には何か有るのか?」に対する答は、

何かはある。それが何なのかは分からない。でもある。である。

 

生きていれば何かしら得るだろう。

 

それは水のようなもので、どこから出て、どのように出るのかは人それぞれなのだろう。

 

言葉として、出てきて文章になる事もあれば、

音楽として、出てきて楽曲になる事もあり、

動きとして、出てきて踊りになる事もある。

そこからも更に更に無限の違いがある。

 

「自分には何も無い」とぼやき、言い訳にして生きている人を往々にして見ることがある。

 

自分はそんな人を見る度に、

そんなの分かりきっていることなのになぁ

と思う。

 

無くて普通。

得ていこう。

出せて上等。

 

 

はじめっから何か持っている人間なんていうのは、「チートみたいな特殊能力をもって異世界転生した奴」みたいなもので、

そんな奴がウヨウヨしていたら地球がオワコンになってしまう。神様はきっとそういうパワーバランスもきちんと守っている。

 

自分の中身のなさを卑下していじけるのは

もうやめにしよう。

 

人間、どう生きるかが大切なのだと思う。

 

自分が得たものを大切にして、絶対放すまいと必死に抱き寄せる。その抱いている形をしっかりと感じ取り、生きていく。

きっといつかそれが変化を繰り返し、

自分の出力する形となる。

 

 

 

明日は、一人暮らしで生きていくために

水と食料を手に入れないといけないので、

ここら辺で眠ることにする。おやすみ。

 

 

 

 

若葉と初夏

毎日深夜4時を過ぎても寝る気にならないし、やっと朝5時になったあたりでベットに転がり、12時頃に目が覚めて活動を始めるような生活をかれこれ1ヶ月は送った。音楽制作のリズムもなんとなく出来てきた。そんな人間に朝の8時に起きなくてはならない日があった。それが今日である。夜なべをする元気があった訳じゃないので、早めに寝て(3時)、アラームをセットして起きるよう心得た。そしてまぁ、ちゃんと起きたのだった。今日1日を元気に過ごせるかどうか不安に思いながら、眠り眼でパスタを作った(これがまぁ本当に寝ぼけててあんまし記憶にないんだけれど)。用事は10時半すぎに始まるので、朝食を食べたあと、ちょっと遠くまで散歩をしようと家を出た。目的地とかないけど、まぁ、人生そんなもんでしょ。ってな感じで。歩くっていうのはほんとに良いもんで、心が晴れやかになる。初夏の風、縹の空、何より人々の日常が見えてくる。水やりをする婆さん、ゴミ袋を捨てるサラリーマン。談笑する爺さん婆さん。歩いてて飽きない。そんな中、自分の小学校の校舎を通り過ぎ、中学校の校舎を通り過ぎていた。当時はもっと歩きに歩いて、辿り着く場所だったのに、今では音楽をイヤホンで聴きながらちょいと歩いただけでもう到着するのか。そう思うと、やっぱり人間も、野に咲く花も若葉も地球も、絶えず変化していくものなのだろうと思わざるを得なくなる。自分を取り巻く環境がどんなものであるか、私たちは絶えず凝視しなければならない。そして私たちも絶えず変化している事に気が付かなければならない。

 

 

 

「芸術に生きる」

2019/11/10/日曜日

ほとんど丸々一週間、

ブッ倒れるような風邪をひき、

まともに学校にも塾にも行けず、

唯々寝てばかりの日々を送った。

割とマジでキツかった。

やっとこさまともになったかな、と思えるぐらいになった時に、大分の高校生の主に美術部生が応募し参加する「中央展」に友達と行くことになった。

自分は絵が兎に角ヘタクソで絵がかける人を「すっげぇなぁ」っていう感覚で見てたんだけど、自分と同級生だったり自分よりも年下でか弱そうな女子が、滅茶苦茶力強いエネルギッシュな絵を描いていて驚いた。

すげぇ絵を描くのは芸術緑ヶ丘高校の生徒ぐらいだろうと思っていた。全然違った。

縦横1mぐらいの結構大きいキャンバスにみんな思い思いの絵を描いてて、その作品の下に題名や頑張った点や描きたいコンセプトを書いていた。

 

そこで先生や生徒同士が自分の作品についてのアドバイスや感想を聞いて回る時間があって、トータルで言うと3時間ぐらい歩き回って150個はある作品達を至る所で討論していたんだけど、その時間が何より凄かった。

 

結構厳しめの意見を下さる先生だったり、様々な視点で作品を見てくれる方々が多いので、制作した生徒の気が付かなかった点や、今後の指針等、ホントに色々話してた。

その中で、俺は、作品は出してないわ、見たい作品がある訳では無いわ、で正直することが無かったから、色んな先生の会話を隣で盗み聞きしてたりしていた。隣の生徒の作品を見てるフリをしたりしながらね。

そしたらこんな会話が繰り広げられていた。

 

「今回私はこの作品を通して○○のイメージを強く出したいと思いながら取り組んだんですけど、どうもそれが上手く再現出来ませんでした。」と自己省察する女子。(2年?)

それに対して先生は、

『そういうもんですよ芸術は。寧ろ自分の作りたいものと出来たものの差異を自分自身で分かっているのはかなり良い事です。そうやって1つの作品を作る毎に達成感と後悔を繰り返しながら制作を続けていくのが、1番クオリティも人間味も向上していくもんです。今後にとても期待していますよ。』と言っていた。(少なくとも俺はそう隣で聞き取った)

 

はぁーーーーー。それが芸術か。確かに。

すげぇなこの講評。と滅茶苦茶感心した。

様々な生徒が自分の脳内で描きたい物を創り、

それぞれの持ちうる最大限の手段や技法で

それを還元していく。またその還元する時に

構想を練り、自分の作品を脳内で熟成させ、

やっとの思いで1つ。仕上げる。

このプロセスがとてつもなく「人間」の、

「芸術を楽しめる生物」としての最大の、

「面白さ」があるんだろうなぁと

本当に思った。

 

この講評に関しては音楽にも通ずるものがあると思ったから、こうやってブログに書くことにした。

いい学びをした。爽快なくらいいい学び。

明日も学校があるのでこのくらいで。

また今度。